どちらも詳しい起源年は不明ですが、室町時代に大変隆盛し、現代まで伝わっています。 京の都を中心として、将軍や諸国大名らが舞台を作り、能、狂言師たちを抱え、能会を開いて楽しみました。
能は、シテ役と呼ばれる主役やワキ役たちが謡い、それに「地謡い」と呼ばれる 合唱グループ、笛・鼓・太鼓の囃子グループにより構成されている、和製ミュージカル(歌舞劇)です。
主に悲劇を題材にしたものが多く、もの悲しく幽玄の世界を作りあげています。 能の会は、一曲1時間ほどの能を3~4曲演じる事が多く、その能と能の間に狂言を演じました。これが能狂言です。
能狂言は、能とは対照的に、囃子や謡いを使用することが少ない対話劇です。内容も喜劇である事が多く、 演目は落語などと同様に、喜劇の原点ともいえる内容が大半です。
能と同様、プロとしての家系が多く、野村家、茂山家、和泉家、大蔵家などが有名で、マスコミなどでも活躍されています。
当時、大名達と変わらない力を持っていた寺社は、布教活動のために、 念仏法会を開き、その中の余興として、念仏踊りや寸劇などを公開していました。
それが、少しずつ宗教色が薄れ、演劇色が強くなったのが念仏狂言です。
能狂言は全国各地の能舞台で演じられる事が多いですが、念仏狂言は、京都市内の特定寺院内の狂言堂と呼ばれる舞台で演じられます。
演目の内容は、相互に影響を与え合ってきた関係で、類似したものも多いですが、それぞれの特徴を生かした、固有演目も多くあります。
衣装については、能狂言は大名からの影響か、長袴、裃姿がよく登場し、念仏狂言は白衣の僧や、町衆姿での登場が一般的です。
能狂言の出演者は、首から上は普段のまま、何も着けない場合が多く、演目と不相応な髪型の場合も希にあります。
対して、念仏狂言は演者全員が着面で、頭も頭巾などを被っています。
能狂言はあくまで能に準じている為、演技、進行様式とも能と同じものが多く、囃子も能の囃子方が担当する場合が一般的です。
念仏狂言の囃子は、わに口と呼ばれる鉦と、しめ太鼓、篠笛により行われ、素朴なメロディー、リズムが特徴です。
演技は直立不動でセリフを発する洗練されたイメージの能狂言に対し、念仏狂言では、表情など感情表現が分かり難い関係で、 指差しなど、オーバーアクションで演じます。
京都の念仏狂言は京都市上京区の千本閻魔堂引接寺(いんじょうじ)、中京区の壬生寺、神泉苑、右京区の嵯峨清涼寺に伝わり、それぞれ登録無形民俗文化財や無形重要文化財に指定されています。
この、ゑんま堂狂言・壬生狂言・神泉苑狂言・嵯峨狂言、四つの狂言の総称が「念仏狂言」です。
どの狂言も保存会(講)の保存会員(講中)により公演活動を行っています。
保存会員は本業の傍ら狂言を演じていますので、京都市・府からの補助や寄付などにより運営を続けています。
行事の伝統を守り、ゑんま堂狂言ほか大半の念仏狂言の本公演は、現在も観覧は無料となっています。
念仏狂言のほとんどは無言劇で、囃子に合わせて演じられます。
しかし、その中で「ゑんま堂」だけがほとんどの演目にセリフがあり、 念仏狂言の中でも能狂言と一番影響を与え合った関係にあるのではないかと言われています。
毎年、4月の中旬から5月上旬にかけ、前後して4箇所のお寺で「カン デンデン」 の囃子が響き、狂言見物に多くの参詣人や観光客、地域の人達が集まります。