1017年~1275年頃
(平安時代中期~鎌倉時代)
ゑんま堂狂言が伝わる千本ゑんま堂 引接寺は、京都市上京区千本通りに面した西側にあります。
平安時代初期に百人一首の一歌人「小野 篁(おののたかむら)=参議 篁」が閻魔像を刻み、この地にお祀りしたのが始まりと伝えられ、平安時代中期 寛仁元年(1017)に比叡山の高僧「恵心僧都 源信」の門下、定覚上人(じょうかくしょうにん)が、創建・開山された、高野山真言宗の古刹寺院です。
ゑんま堂狂言は、定覚上人が布教のため、大念仏法会を始めた事が起こりと伝えられ、「ゑんまんどうの 狂言は だーれが先 はーじめた、 でっかい坊主が はーじめた。」とわらべ唄の中にも紹介され、今日まで唄い継がれています。
その後一時中断しましたが、鎌倉時代の文永(1264~1275)年間に如輪上人(にょりんしょにん)により再興し、室町時代には隆盛を極めました。
天正二年(1574)織田信長が上杉謙信に下された狩野永徳筆の洛中洛外図屏風の中にも、境内でこの狂言を演じる様子が描かれていることから、この頃にも親しまれた年中行事であったことがうかがえます。